引用元: 「【倉稲魂命】稲荷信仰霊験スレ 第6社【荼枳尼天】」より
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1388308620/
970: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/06(金) 10:52:46.32 ID:V0l4dGk30.net
伏見稲荷は空海さんが開いたわけじゃないけど、東寺造営に関して木材(ともしかして
人力も?)がどうとか、元々居た神さんと先住民(現・藤森神社)との確執がどうのとかで
深く関わってますよね

高野山ではそういう神さんとグループは狩場明神・丹生明神として今でも丁重に
崇め祀っていますが、伏見稲荷では該当する人達の祭祀は今どうなってるんだろう
やっぱり「田中社」さんか「四の大神」さんがそれなんだろうか

971: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/09(月) 12:40:59.61 ID:RsnXGwPw0.net
>>970
まず真言宗の寺は木や山を使わせてもらうにあたり、地元の神さんと仲良くしないといけないので
空海が稲荷神と出会ったり、高野山で神に導かれたりした伝説を語り継いで気を遣ってるわけだ。
それと稲荷山の神同士が歴史の中で共存、統合してきた過程は全く意味が違うものだろう。

藤森とは共存してるし、古代からの神奈備信仰、元来の土地の守り神、祈雨の神としての神格などは
今のお稲荷さんの多彩な御神徳の中に溶け込んていると考えていいのでは。
ちなみに五座になったのは平安時代からのことだそうで、田中大神、四大神の由来は定説がない。

972: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/09(月) 21:45:34.82 ID:pQGiLJtT0.net
>稲荷山の神同士が歴史の中で共存、統合してきた
>藤森とは共存

ここなんですが、
今の藤森神社の東殿に祀られている藤尾社というのが平安時代に今の伏見稲荷本殿の場所から
移されたらしく、以来、藤森神社の祭礼にその名残が見られるそうです
伏見稲荷大社周辺の住民が伏見稲荷大社の氏子ではなく藤森神社の氏子であることと、
伏見稲荷大社の例大祭は東寺方面からの神輿渡御になっていることからも、
(あくまで私の推論ですが)東寺造営に関わって両者の間にいざこざがあったのかな、と

単に山上から遷座させた稲荷社に元々の藤尾社を合祀するのではなく、藤尾社の方は
なぜか離れた近隣の神社へ移してそちらへ合祀というのが、穏便ならぬ事情を伺わせます

勿論今の宮司さんや住民にそんな確執の記憶があるとは思ってませんが、表にのこらない
話というのはえてして民話や民謡、民間の習俗のように残るようですから・・・


>古代からの神奈備信仰、元来の土地の守り神、祈雨の神としての神格などは
>今のお稲荷さんの多彩な御神徳の中に溶け込んていると考えていいのでは

これはまったく同意です
お稲荷さんのすごいところですよね

974: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/10(火) 21:27:11.15 ID:JGw+JeKV0.net
折口信夫の「狐の田舎わたらひ」にも
稲荷、東寺のくされ縁についていろいろ書いてあります

狐の田舎わたらひ
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46325_26558.html

975: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/11(水) 15:30:00.81 ID:NZEGvP4I01111.net
>>972
藤森神社の宮司の縁起説明によると…
室町時代の1438年、後花園天皇の勅により将軍足利義教が山頂の稲荷を麓に移し、そこにあった藤尾社を藤森に遷座
…ということだね。
空海が東寺を授かって五重塔の建築で稲荷山の木を切り出して云々…という826年頃から、
藤尾の遷座まで600年以上たってるので、東寺建立に因縁を求めるのはどうなのかな。

後花園天皇は稲荷詣に便利なように本殿を麓に移したかったのでは?
だいたい神階を贈って東寺の鎮守、都の鎮護と決めた稲荷を他と合祀なんてとんでもない。
藤尾に祀られていた舎人親王や天武天皇と藤森の神功皇后や応神天皇の方にまとまってもらうわwそりゃ。

稲荷は権力者を味方につけるのが上手いから、藤尾は立場が弱く、はじき出されたのかもしれないけどね。
とにかくご近所同士、今は仲良く(?)共存してることはたしかだろう。
今も藤森祭で伏見の境内に「土地返しやー」とばかり神輿が繰り出され、オラオラしてるのは楽しそうだよ。

976: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/11(水) 16:32:41.30 ID:EgLlGbzA01111.net
>>974
ご紹介ありがとう。おもしろかった。


>>975
それもそうだな・・・。

>神階を贈って東寺の鎮守、都の鎮護と決めた稲荷を他と合祀なんてとんでもない

この感覚は私にはわからないけど、当時の稲荷社が山頂にあっておみ足の弱い
やんごとない方々にはさぞ不便wだっただろうことは想像に難くないですね。
藤森神社は西殿もあとから加えられた御霊社なので、なんか近隣のややこしい神さんを
その都度押し付けれられてる気がする・・・。

上の折口のもそうだけど、神さんも時代の流れに押されて栄枯盛衰があるんだなあ。
ちなみにたしか大社の参道の途中の敷地に舎人親王の小さい社があった気がする。(歯医者さんとか
の並び)

978: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/15(日) 14:02:50.31 ID:MF12IKi80.net
秦氏といっても
お酒の方は松尾大社の方なんだよね
関東の人はよくわからないかも知れないけど

979: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/15(日) 16:07:37.97 ID:xVZdb2P00.net
>>978
お蚕さんの方は木嶋坐天照御魂神社ですねわかります
関東者でも意外にわかります
本とネットと新幹線のおかげです

980: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/16(月) 18:40:31.98 ID:dlZd9aSz0.net
秦「氏」っていうけど、別に血縁の一族じゃなくて単にある時期に半島から
上陸してきた職能集団、みたいなくくりなんじゃなかったっけ?
今でいうなら「三菱グループ」みたいな(ちょっと違うか)

稲作、醸造、養蚕、土木、祭祀
せっかく美し国に移ってきたんだから、それぞれがやりやすいところ見つけて
住むのが自然だし

981: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/16(月) 21:29:41.78 ID:WSF/n+mr0.net
>>979
木嶋神社(蚕の社)のある太秦は、秦氏の本拠地ですからね
ここの三角鳥居の三つの角の二つは
松尾山と稲荷山を指しているとか

982: 名無しさん@京都板じゃないよ 2015/11/16(月) 21:49:41.94 ID:WSF/n+mr0.net
>>980
>秦「氏」っていうけど、別に血縁の一族じゃなくて単にある時期に半島から
>上陸してきた職能集団、みたいなくくりなんじゃなかったっけ?
>今でいうなら「三菱グループ」みたいな(ちょっと違うか)

違うと思う
神社は、もともとは祖霊信仰だから

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